話しているうちに、何だか器の小さそうな人、小物感の漂う人だなと感じた経験はありますか?一見はわからないのですが、だんだん違和感を感じてきます。そんな小物感の漂う人を男女別にお話しし、内面はどんな人なのか探ってみましょう。
この記事の目次[表示]
何だろうこの違和感、この人の言ってることは的を得ているんだけれど…と思うことはありませんか?また、人のことを指摘するばかりで、自分はどうなの?と突っ込みたくなる小物感を漂わせている人いますよね。 芸能人で言えば、狩野英孝や次長課長の河本は、芸能界でも長く知名度はあるものの、小物感をぬぐえません。また二人ともスキャンダルで世間を騒がせたことも相まって、さらに小物感の漂う芸能人となってしまいました。
小物感の漂う人が他人の言動に意見したりするのを見て、「自分はどうなの?」と言いたくなることがあります。ほかには、自分のこと以外での自慢「○○と友だち」「友だちに社長がいる」など、聞いてもいないのに次々と話し出したりします。 今回はそんな小物感の漂う人はどういった特徴があるのか、男女別にわけてお伝えします。また小物感とはいったいどういったものなのか、自分はもしかして小物感満載かも?と不安に思った方へ、小物感から抜け出す方法もいくつかご紹介します。
小物感は「こものかん」と読み、意味は「つまらない人物」でそのような人を指すときに使います。
ではここから、小物感の漂う男性の特徴についてご説明していきます。男性ならではの特徴であることにも注目してみてください。
小物感の漂う男性は自分自身に自信がないことの表れとして、自分以外の人についての功績や役職、社会的地位などを持ち出して自慢します。 大企業に勤めている友人がいる、○○に関することならコネがあるから、○○にあるタワーマンションに住んでいる親戚がいるなど、挙げればきりがありません。 他人の功績をただ自分が知り合いや友人などのつながりがあるというだけで、小物感を漂わせ、我がことのように話すのです。
あの日は天候が悪かったから、ちゃんと指示してくれればミスしなかったのに、本当はこういう事情があって…とこちらも挙げればきりがありませんが、自分の保身のことばかりを考えているのか、小物感の漂う男性は、とにかく言い訳が多いという特徴も目立ちます。 それに関連して、テレビコメンテーターの解説者のように、あのときはこうでああで、こうするのが正しい判断だった、上手くいかないと思ってはいたけれど、などちょっとした問題について延々と話し続けます。 起こったことに対して、後付けでああでもないこうでもないと言ってみたところで何も始まらず、じゃあ何でその時に言わなかったの?と指摘すると何も言えずに口をつぐみます。しかし、小物感を漂わせる男性はまたつらつらと言い訳を並べ始めるのです。
昔は悪いことばかりしていたと「悪ガキ」自慢や、その頃からかなりの年数を経ているにも関わらず、時代錯誤かと感じるようなファッションセンスで、自分はイケてると勘違いしている様子に小物感を感じずにはいられません。 女性は結婚出産をはじめ、夫や子供のステータスなど今現状に目を向ける対象がいろいろとありますが、男性はこれまでの歩んできた人生や社会的地位に重きを置いていることが多いです。 自分の歩んできた人生がいかに素晴らしいものだったかを小物感を漂わせ、アピールする傾向にあるのでしょう。なので、小物感の漂う男性は、もう数十年と時は流れていても、昨日のことのように思い出話をしては「あの頃は…」と得意げに話し始めるのです。
小物感の漂う男性で見受けられるのが、人に任せられない、事細かに指示をしたがるという特徴です。ある程度の支持は仕事や業務上では必要ですが、指示される側にすれば、度を超すとやる気も失せ、イライラし始めます。 そんな小物感のある人物に限って、自分は指示されることを嫌います。そんな矛盾した言動にも気づかず、自分の保身のために次々と指示をする小物感を漂わせている様子に、周囲はあきれ返っていることでしょう。
小物感の漂う男性に続いて、女性はどういった特徴があるのかお話ししていきます。男性との違いにも着目してみましょう。
小物感の漂う女性は、誰かの悪口を言っては共感してもらい、自分は正しい、間違っていないという確認をしたがります。また、自分に有利になると思った人に近づき、その話題はたいがい「あの人のことどう思う?」から始まります。 その悪口に共感してくれる人に対しては仲間意識を強く持ち、そうでない人には敵対視したりと、女性ならではのやっかみや妬みの感情をあらわにするところも小物感の漂う女性の特徴です。 そんな人の悪口も、大した問題でもないのにことのほか大げさに捉えたり、ゆがんだもののとらえ方をするなど、自分の世界観で物を見ているだけにしかすぎないことも小物感を感じる点と言えます。
「どうせ私なんか…」とすねてみたり、感情的になったりする女性も、どうにも小物感が漂っているなと思わせます。そもそもは人と自分の比較をするところから始まるのだと予測します。 自分の欠点ばかりが目につき、そことできている人とを比較しては落ち込んだり嘆いたりとしている思考の癖がすでにあるのでしょう。結果周囲に小物感を漂わせ、自分は我慢ばかりしていると感情的になったり、できない自分を悲観したりするのです。 そんな女性を見てかわいそうだ、話を聞いてあげないと、何とか助けてあげないとと思いがちです。しかしそういう女性に限って頑固なのか、人の意見を聞く耳を持たず、どっぷりと悲劇のヒロインに徹しています。
本当に小物感にあふれかえっているなと思う女性は、自分の地位や立場、夫や子供の社会的地位を周りの人と比べ、マウンティングする人です。たった数人集まった中で、自分は一番だと思いたいそんな心理が働くようです。 マウンティングの内容は、事細かなところにまで及びます。特に家庭のある女性は自分の夫や子どもの話を持ち出すことが多く、世帯収入、最終学歴、社会的地位をはじめ、人からうらやましい、いいなと言われたいことを出して、小物感をこれでもかと漂わせます。 一方、不幸自慢のマウンティングもあり、いかに自分が苦労してきたか、恵まれない環境だったかということも、「わたしなんてもっと大変だったのよ」と人の話に割り込んでは自分の話を始めるところにも小物感を感じます。
ここまで、男女別に分けて小物感の漂う人の特徴をお話ししてきました。そこで、この小物感とは一体何なんだろう、小物感っていうけれど本質は何が隠されている人のことを言うんだろうと疑問に思いませんでしたか? まず初めに、すべての特徴での共通する点として、「現状の自分に自信がなくて、びくびくしている自分を周りの人に認めてほしい」と言えると思います。自分はダメな人間だ、そんな自分は認められないという、もしかしたら自分でも無自覚でいる感情が心の中にあるのでしょう。 心の中の本当の自分はいつも、自分を認めてほしいと、自分の良さに気付いてほしいとうねりをあげて、気付いてくれるのを待っています。しかし、その欲求を満たしてほしい当の本人は自分を認めようとせず、他人から求めようとするばかり。
いくら他人から認めてもらっても、心の中に残るむなしい気持ちはぬぐえず、さらにもっともっとと他人への承認欲求が高まります。それが小物感を漂わせる原因となり、特徴でいくつかあげた言動へとつながっていくのです。 そんな小物感が漂う人に違和感を感じるという人は、ちゃんと自分の心と向き合うことができているのでしょう。少なくとも、自分を認めることができている人であり、誰かに小物感を出されると、「そうでなくて」とその人に言い返したくなるのではないでしょうか。
あれ、人のことばかりに目を向けていたけれど、もしかして自分も小物感を周囲に漂わせているかも、もう周囲には自分の小物感に気付かれているかもと不安になった方もいるでしょう。 そうやって、自分のことかなと思う時点で大きな発見をしたと思います。気付かないまま小物感を漂わせている、そのまま自分に小物感があることに気付くことなく死んでいく人もたくさんいるのです。 小物感が漂っている自分を変えるのに、今更と思うことはなく、手遅れはありません。思い立ったが吉日、早速行動に移して小物感から脱しましょう。
小物感を感じさせてしまう原因として、例えば仕事でミスしたりすると他人のせいにしたりするところです。物やタイミング、場所など、責任転嫁できそうなものなら人や物、誰彼構わずそのターゲットにしてしまいます。 言い訳もそうですが、そんなことををしたところで現状は何も変わらず、今目の前にある現状を解決することが先決であり、誰のせいかはどうでもいい話。自分のミスなら、それを潔く認め、目の前の問題を解決したり、また次につながる信頼回復のために頑張ればいいのです。
人を責めたところで、自分の心は安らぐでしょうか。もし自分が逆の立場だったら、どんな感情で向き合うことになるのでしょう。それこそ、トラブルの原因ともなり、対人関係に大きなひびが入ることにもなりかねません。 小物感をぬぐい去るためにも、自分の行動には責任感を持つことを心掛けましょう。しかし責任感を持ってやっている、と周囲にアピールするのは小物感を漂わせていますので注意してください。
周囲に憧れの存在の人はいますか?社会人であれば、その人の仕事ぶりはどんなものでしょう。小物感は感じられますか?憧れの存在であれば、小物感を漂わせていることはまずないのではないかと思います。 そんな憧れの人を良く観察してみましょう。どんな対人関係を築いていますか?その人取り囲む人にはどんな人がいますか?憧れの人から言われてうれしかった言葉は何でしょう。どんなスタイルで仕事をしていますか? 意識を向けることでいろいろな面が見えてくることでしょう。そこから小物感の漂う自分に足りないもの、補いたいものを取り入れるべく、まずは行動を真似てみることから始めてみてはいかがでしょうか。
小物感を漂わせている自分の心の中を見つめてみると、できる人とできない自分の構図の比較があることに気付きます。誰にも得意不得意はあり、それが個性でもあります。他人と比較することは、自分を苦しめるだけの行為です。 自分が苦手とすることを、できる人と比較して何の意味があるのでしょう。その感情を誰かに認めてほしい、慰めてほしい、かまってほしいというその気持ちが行動に表れ、結果周囲に小物感を漂わせてしまうのです。 もう小物感を漂わせるほどに思考の癖がついてしまって、すぐには治せないとあきらめることはありません。そういう考えが浮かんできたら、パッとやめることを意識しましょう。「また考えていたなあ」と、そこで思考をストップさせるだけでいいのです。
小物感を漂わせている人ほど、他人の言動に敏感で厳しいジャッジをくだします。それは自分が常に我慢してでも歯を食いしばって正しい行動をしている、と思い込んでいるからです。 そうしないと自分を否定され、厳しく批判されるから。そう、自分が周囲をそういう風に見ているように。しかし、実際のところ、そんな小物感を漂わせている人がそこら中にいるものでしょうか。 誰かがミスしたとして、責める人はいたとしても、助けてくれる人は必ずいますし、しょげた心を励ましてくれる人もいます。心優しい人に囲まれて暮らしていることに感謝さえ感じます。
この世の中、何においても完璧な人などまずいません。完璧を求めたところで、自分を苦しめることとなるのは目に見えています。それならば、もっとハードルをさげて、周囲を見渡してみましょう。 そうすることによって、自分の気持ちも楽になり、他人の言動に一喜一憂することなく、心穏やかに暮らせることと思います。小物感から脱するのはそう難しいことではありません。 恥ずかしいかもしれませんが、自分の欠点に気付き、改善しようとしている自分を自分でほめてみましょう。
関連記事