2019年07月09日公開

2019年07月09日更新

性善説の意味や提唱した人物とは?ビジネスでの使い方や日本は性善説なのか解説

「性善説」を知っていますか?性善説は、古代中国の思想家・孟子が説いた儒教の教えです。近年の教養ブームにともない、性善説はビジネスの場面でも聞かれる言葉になりました。本記事では、性善説の意味と使い方について詳しく説明いたします。

性善説という言葉を知っていますか?

「性善説」という言葉を聞いたことはありますか?性善説は、古代中国の哲学思想の1つです。性善説は、現代まで多くの人に語り継がれてきました。 近年では、性善説を基にした経営論が説かれたり、性善説を用いた人材教育が行われるなどがされるようになりました。性善説は、ビジネスの世界でもよく聞かれる言葉といえるでしょう。 しかし、「性善説とは何か」を自信を持って説明できる人は少ないのではないでしょうか?本記事では、性善説とはそもそもどういったものなのか、詳しく説明をしていきたいと思います。

性善説の意味とは?

性善説は、長い時間を経て現代に伝わってきた思想です。性善説の教えが説かれている本である「孟子(もうじ)」は、高校教育で使う教科書にも載っています。しかし、出典が漢文の故事であるため、難しそうな印象を持っている思想といえます。 性善説を理解するポイントは、「性善説はどのような考えであるのか」「性善説はどういった背景から生まれた考えなのか」「性善説は外国でどのような捉え方をされているのか」の3点です。 性善説は、「人間は親切心を持っている」などある意味で「当たり前」のことを説いた教えともいえます。順番に見ていきましょう。

性善説の考え方

性善説は、ひとことでいうと、「人間は生まれながらにして、善である」という教えです。ここでいう「善」は、「道徳的に正しいこと」を示しています。 「道徳的に正しいこと」について、孟子は「四端の説」という話をしています。人間には生まれつき、「憐みの心」「悪いことをしたときに恥じる心」「譲る心」「良いこと・悪いことを見分ける心」の4つの心が備わっているというものです。 孟子は、人間はこの4つの心を持っているため、生まれつき「善」であり、その後の努力次第で立派な人間になれると説いています。良い人・悪い人は生まれながらにして決まっていない、努力次第でどんな人にでもなれる、というのが性善説の教えです。

性善説を提唱した人物

性善説を説いたのは、古代中国の思想家・孟子です。孟子は中国の戦国時代(紀元前350年頃)に生きた思想家です。彼は儒教の始祖である孔子の孫・子思の門人に学び、性善説を生み出しました。 孔子は、儒教の教えの要として「仁」と「礼」を説きました。孟子はこの教えを受け継ぎましたが、特に「仁」を重要視しました。「仁」は、人間の精神的な豊かさのことです。「仁」に基づき「道徳的に良い行動」を絶えず続けることで、立派な人間になれるとしたのです。 孟子が説いた性善説は、残念なことに当時は「理想主義」といわれ、なかなか評価されませんでした。しかし、時を経て、性善説は日本の江戸幕府公認の学問である「朱子学」に受け継がれました。性善説は、海を越えてたくさんの人々に知られたのです。

性善説の英語表現

英語では、「説」を表す単語の最後に「~ism」がつきます。しかし、「性善説」を直接示す英単語はありません。性善説自体が、ひとことで説明するのがなかなか難しい単語であるためです。 性善説を英語で示すときには、短い文を用います。たとえば、「生まれながらにして善である」を示す「born good by nature」や、「本質的に善である」を示す「inherently good」が使われています。 性善説の根本的な考え方を説明してきました。性善説、決して古く堅苦しい考えではありません。孟子は、生活の一場面で使えるように、性善説が理解しやすくなる言葉を遺しています。古典に綴られた孟子の言葉は、現代の私たちも読むことができます。

性善説の使い方・例文

孟子は、性善説についていくつかの言葉を遺しています。 孟子は、性善説を基にした「仁」による政治を行うことこそが平和を実現する道だと信じていました。そのため、性善説を基にした具体的な行動についての教えを遺したのです。孟子の言葉は、彼の弟子たちによって本にまとめられています。 この項では、孟子の説明した性善説をよく表している文を5つ紹介いたします。

「仁は人の心なり。義は人の道なり」 訳すると、「仁は、人間の持つ精神的な豊かさであり、思いやりの心である。正義を求めるのは、人間として正しい道である」という文になります。この文から、孟子は、人間はもともと「善の心」を持っているとしていることがわかります。

「聖人と我とは類を同じくする者なり」 「どんなに偉い人も、元々は普通の人間であった」という文です。人間には、生まれながらにして、やがて聖人と呼ばれるような「善」の人と、盗人となってしまうような「悪」の人の区別がないのだと説いています。スタート地点は皆同じ、ということです。

「学問の道は他無し。その放心を求むるのみ」 「勉強することは、他でもなく、失ってしまった善の心を求めるための行為である」という文です。性善説に基づくと、前述したように、人間は皆「善の心」を持っています。しかし、世俗の悪い慣習を身につけてしまうことで、人間は「悪」に偏ってしまう恐れがあります。 孟子は、生まれながらにして持っていた「善の心」を取り戻し、再び育むには、勉強することが大切だとしています。勉強を継続することは、ある意味で苦行ともいえます。苦行を乗り越え、学び努力し続けることが、人間を成長させるとしているのです。

「行いありて得ざる者あれば、皆かえりてこれを己れに求む」 「実践しても上手くいかないことがあったら、自分のやり方をまず振り返ってみるべきだ」という文です。誰でもスタート地点は同じなのですから、上手くいかないのは「自分のやり方が間違っている」ともいえます。自分を疑う強さが大切だとしているのです。

「直さざればすなわち道はあらわれず」 「間違ったのなら、間違いを正せばいい。正さないのなら、真の道は分からないままだろう」という文です。孟子は、性善説に基づいた人間の「善の心」を信じていました。信じていたからこそ、努力を怠る者に対しては少々厳しい文を遺しているのでしょう。 孟子の文を5つ紹介いたしました。どれも短い文なので、性善説を思い出したいときに使いやすい文といえます。それでは、現代では、孟子の教えはどのように語られているのでしょうか?

性善説のビジネスでの使い方・例文

性善説は、ビジネスにおいても使われるキーワードです。では、どんな場面で使われるのでしょうか? 例文の紹介に入る前に、気を付けたいポイントがあります。それは、「ビジネスにおける性善説の捉え方」です。性善説は孟子が説いた教えですが、現代のビジネス社会でいう「性善説」は、本来の意味とは違った意味を持っています。 ビジネスの世界では「性善説に基づいて、取引を行う」という使い方がされます。この例文において、性善説は「相手が善人(嘘をつかない人)であると信じること」という意味で用いられています。

ビジネスにおける性善説は、「他人を善人として信用する態度」のことを示しています。「取引先の相手は嘘をついていないはずだ。契約通りに納品してくれるに違いない」と信じる態度であるといえます。 「当店では性善説に基づいて、お客様は、商品である衣服を試着したまま店外に出ることができる」という文からも、無条件に「他人を善人として信用する」態度が伺えます。

また、ビジネスにおける性善説は、社内での教育でも使われています。「性善説に基づいて、部下を育てる」という文があります。部下の持ち得る能力を信じて、教育を行うという意味です。誰でも立派な人物になる能力があるという意味で性善説を使用しています。 孟子の説いた性善説と、ビジネスにおいての性善説は、その意味が微妙に異なることがあります。長い年月を経て伝わった来た思想は、時代の流れに合わせて微妙に変化しているといえるでしょう。この違いを押さえて、性善説を理解することが大切です。 ところで、日本には「和を以て貴しとなす」という言葉があります。他者を理解し、場合によっては協調することが、平和を実現する近道とする考え方です。この考え方は、性善説に基づいた「信頼」の上に成り立っているのです。

日本は性善説

前述したように、性善説は「朱子学」に引き継がれ、江戸時代の日本に伝わりました。協調を大切にする日本人は、他者を「良い人」として信頼する風潮があります。自分だけが無駄に疑ってしまうと、かえって全体の雰囲気を悪くしてしまうからです。 性善説は、現代の日本でもよく見られる考え方といえます。たとえば、市役所などの手続きです。日本では、手続きに使う書類や身分の証明方法などが海外に比べて簡略化されていることが多いようです。 日本では自分が一筆かけば完成する書類も、海外では複雑な手続きや専門家を通さないと完成しないことがあります。

これは、海外(特に欧米)では、性悪説が信じられていることが原因であるといえます。性悪説は、人間の本質は「悪」であるとする考え方です。 「悪」とは、「弱い」ということを示しています。人間は弱い生き物であるため、欲に流されて不正を行う恐れがあると捉えられているのです。そのため、海外の役所の手続きでは、不正がないかを徹底的にチェックする傾向があるのです。 性悪説では、人間は皆「悪」に生まれてしまっているため、誰かが導く必要があるとしています。人間を「善」へ導ける唯一のものが、学問であると説いています。。性悪説では、学ぶことで弱い心を克服し、立派な人間になれるとしているのです。

性善説と性悪説の違い

とはいえど、性善説と性悪説はどう違うのでしょうか?性善説と性悪説は、共に人間の生まれ持った「本質」を問うものになっています。性善説では、人間は生まれながらにして「善の心」を、性悪説では、人間は生まれながらにして「悪の心」を持っているとします。 性善説では、人間は「善の心」を基に努力することで大成するとしています。性悪説では、人間は「悪の心」になびかないように努力することで大成するとしています。努力する、すなわち勉強することへの理由付けが異なっているのです。 移民の多い国では、性悪説が採用されがちであるといえます。自分がよく知らない文化で生まれた人を、信頼することは難しいからです。それに対し、「和」を尊ぶ日本では、性善説が信じられています。グローバル化の進む社会において、日本のような国は珍しいのです。

性善説を使えば、もっと前向きな人生になる!

性善説は、人間の持っている「可能性」をポジティブにとらえた考え方だといえます。性善説では、生まれた時は皆「善の心」を持っており、同じスタートラインに立っていると説いています。 「家庭の経済状況がよくなくて、勉強できなかった。勉強するにはもう遅いだろうか…」「仕事で成果が出せない。営業成績のいい同僚が羨ましいなあ…」 人間の置かれる状況は、人それぞれです。上記のような悩みを抱えている人は少なくないのではないでしょうか?思い通りにいかない人生に、希望を見出せない人もいるかもしれません。

性善説によれば、人間は皆4つの「善の心」を持っています。お金持ちに生まれても、貧しく生まれても、心という側面のスタートラインは同じです。孟子は、「善の心」は育てることで「徳」となるとしています。この「徳」を持った人間が、立派な人間だとしています。 性善説では、学び成長することに重点を置いています。学ぶ、というのは勉強に限りません。誰かを助けるために進んで行動したり、大切な人を慈しんだりすることも、人生における「学び」です。生来持っている「善の心」を育てることが、あなたの成長につながります。

性善説は、人間の持っている力を信じ、その成長を期待するという考え方です。他人に親切にしたり、悪に負けずに正しいと思うことを主張する行為は、あなたへの「信頼」につながります。「信頼」は、あなたの人格を高め、人生の苦難を乗り越える助けとなるでしょう。 仕事の成功を求めていたとしても、「信頼」なしに成果を得ることはできません。また、社会的に成功している人の多くは、自分の成功を支えてくれた周囲への感謝の念を忘れないといわれています。人格が高まり、「徳」を持った状態といえるでしょう。 性善説は、未来への期待と希望を生み出すことができます。変わりゆく未来へ進んでいく力は、誰にでも備わっているのです。わき目を振らずに精進することが成功への近道だといえるでしょう。性善説に基づいて、あなたも行動してみませんか?

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ライター

戸村結良

戸村結良

心理学専攻の大学生ライターです。 毎日の生活に心理学のエッセンスを加えてみませんか? 物事の捉え...

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