2019年04月16日公開

2019年06月12日更新

親切心は時に相手を苦しめる?良い人間関係を築くための本当の「親切」とは

親切は、人間関係ひいては社会全体を上手く機能させるために大切な要素です。しかし一方において、親切のつもりが相手に迷惑をかけてしまったり、相手を怒らせてしまったりすることもあります。親切とはそもそもどうすることなのでしょうか。

その行動、本当に親切ですか?

「人には親切にしましょう」というのは、小さな頃から教えられることです。親切は確かに良いことですし、とても大切な規範の一つであるといえます。 しかし、親切が相手にとっては迷惑になってしまった、という経験はありませんか。たとえばある友人の愚痴に対して親切心から親身になってアドバイスをしたところ、友人は急に腹を立てて立ち去ってしまいって連絡が取れなくなった…など。 せっかく親切、いいことをしたというのに、何故こんなめにあわなければならないのでしょうか? 原因としてはまず、あなたが自分で親切だと思いこんでいることが、相手や世の中にとって不親切だと評価されるという可能性があるということが挙げられます。次に、相手からはあなたの心は見えないので、あなたがどう行動したかだけしか評価の対象とならないのです。

そもそも親切とはなに?

「あの人は親切」という、人の特性を指すときには、他人に対して思いやりがあり、配慮が行き届くような性質を持っている人を指します。 「親切な行為」というように、行動を指すときには、困っている人、何かを求めている人が目の前にいたときに、適切な手助けをすることをいいます。

親切な行動の例

親切の定義は上に上げたとおりですが、具体的にどういう行動が親切な行為であるといえるのでしょうか。

公共の場における身体が辛そうな人への手助け

親切の典型的ともいえるのが、公共の場における困っている人への手助けでしょう。たとえば、お年寄りや体調が悪そうな人に席を譲る、視覚障害者の誘導の手伝い、重い荷物と子供を抱えて階段を上がっている人の荷物を持つなどです。

寄付行為

近年の大きな災害への寄付なども親切な行為といえます。献血や災害に遭った知人に必要な物資を聞いて送るなどもそうです。

ボランティア活動

大きな災害でのボランティア活動なども親切といえます。自分の時間とエネルギーを費やす、非常に大きな親切ですね。これほどでなくとも、買い物に行けないお隣のために買い物を引き受ける、なども親切な行為といえます。

仕事での手助け

まだ仕事に不慣れな新人に仕事の内容をかみ砕いて説明したり、仕事が遅れている同僚の手助けをするなどが親切に当たるでしょう。同じ立場ではなく、売り手と買い手の間の親切もあります。商店などでのオマケなども親切の一つの形といえるでしょう。

近所に関する情報提供

引っ越してきた人に生活に必要な情報(マーケットや役所、病院などの位置、保育園の状況など)を教えるのも親切といえます。観光客など明らかに地域住民ではない人が迷っている様子の時に道を教えるなどもこれにあたります。

親切をするときの心理とは

私たちが相手に親切をしよう、あるいは親切な行為をしよう、というときにはどのような心理が働いているのでしょうか。

相手への優しさと思いやり

私たちが親切にしようと思うときは、相手が困っている、あるいは困っている状況にある、と私たちが判断したときです。相手を思いやり、心配する心理です。「思いやる」という言葉の通り、相手が困っていることに気づき、それに対して同情している心理状況であるといえます。 それには相手に対する配慮や思いやりの心、つまり普段から相手に気を配っている気持ちが欠かせないといえます。広い意味での好意ともいえます。

思いやりを行動に移す

ただ困っているな、かわいそうだなと思うだけでは充分ではありません。自分から行動を起こして助けたいと思うほどの気持ちを持つことが必要です。「席を譲る」程度のことであっても利他的な気持ちを行動に移すのはなかなか勇気がいることです。

自発的に行う

他人から促されてする親切もないことはありませんが、基本的には自発的に自分からしようとし、するのが親切です。いやいややるのは親切とはいえません。

親切は自分のため?

親切(をする)という心理には、見返りを求める、少なくともお礼をしてもらえるという気持ちや、自分は良い人だと思いたい、そう評価されたいという気持ちが隠れていることもあります。 ただそれは、人間であるならば誰しも大なり小なり持っている心であって問題ありません。人間のみならず生物はそもそも利己的な存在なのです。もしかしたら自分を良く見せたいだけだったかもと思ってもくよくよするのはやめましょう。 むしろ「ああ、自分は良いことしたな」と自分にちょっとご褒美でも上げる気持ちでいると良いかと思います。その意味では、親切とは相手ではなく自分のためと割り切ることもある程度必要です。

過剰な親切の裏側にあるもの

断っても断っても親切をごり押ししてくる人がいますよね。ああいう人はどうなのでしょうか。 過剰な親切や親切をごり押ししてくる人の心理には、相手への根深い嫉妬や憎悪を持つ場合があります。また、救世主コンプレックス(自分を救世主的存在と思い込み、人を救済することで自己満足を得ようとする)のように行き過ぎた自己陶酔が隠れていることもあります。 相手に迷惑をかけているのに引き際をわかろうとしない親切は、自己満足のための親切である可能性が高いです。

日本人は親切さを持つ

「主張する」欧米社会と比べて日本は「察し合う」社会だとされています。周りが困っていないかどうかを見、特にその地域に不慣れな人が困っている場合には、積極的に話しかけて手を差し伸べることを善とする社会です。 かつ、日本人は親切にはそれなりに責任を持ちます。たとえば道を聞かれて自分が分からないときには分かる人を教える、乗り換えを行き先の駅まで丁寧に教える等です。 日本人は親切であるという海外からの旅行者の一般的な評価は、日本社会、日本人のこういうところから来ているのでしょう。

親切心に潜む落とし穴

では、そもそも親切が裏目に出てしまうのは何故なのでしょうか。どういった落とし穴があるのでしょうか。

現代社会の人間関係

昔の社会や、今でも小さな集落では、おたがいがおたがいの家族構成や経歴、性格などの個人的事情を根本からしっかりと把握しています。 そのためにそれぞれがどういう人間で、どんなときに何を必要としているのか、何か行動を起こしたときにどのような結果になるのか、ということがはっきりとわかります。こういう社会では相手の個人的事情に関わるような親切も問題が起きにくいでしょう。 しかし、今は一般に、おたがいがおたがいのことをそこまでは把握していない社会です。大都市では、隣にすんでいる人の顔すら知らない、親しい友人の家族構成を聞いていない、下手をするとよく顔を合わせる相手の本名すら分からない、なんてことは珍しくありません。

個人領域に踏み込んだ親切の難しさ

現代社会では多くの場合、分かっているつもりで相手のことをよく分かっていません。うっかりすると、たとえば相手の家族などに対するアドバイスなど個人的事情に関わるようなことにつき、相手の状況もよく知らないままに「親切」をして迷惑をかけてしまいかねません。 ということは、あなたの親切でしたつもりの行為がどのような結果をもたらすのか分からないということです。あなたの親切からでた行動が、むしろ相手の夫婦関係を悪化させたり、会社での立場を悪くしたりする結果となる可能性は十分にあるのです。 それは結果として、あなた自身の立場をも悪くしかねません。

おたがいが幸せになれる本当に親切とは?

親切は迷惑になり得ると、その理由も含めてお話ししました。では親切はそもそもすべきではない行為なのでしょうか? いいえ、それは違います。電車で母親がいくらあやしても泣きやまない子供を周りがあやして笑わせるなど、放置していたらギスギスしてしまうような状況を、温かでほっとした状況に変えるのも親切です。 親切は、自分も他人も心地よく過ごすために不可欠な行為の一つなのです。こうした小さな行為が、社会全体の潤滑油となっているのです。 では親切とはどうすることなのか、どういうことが親切になるのでしょうか。そして、親切をするに当たってどのようなことを考えれば良いのでしょうか。

本当の親切をするために大切な心構え

では親切な行為をするにあたって、どうすればいいのでしょうか。親切をするときに注意する点を以下、具体的に挙げてみます。

「それは良いことか」といったん立ち止まる

あなたの考えていること、あなたがやろうとしていることは、本当に正しいことなのでしょうか?ただ正しいと思い込んでいるだけではありませんか。 まずは相手の目線に立って考えましょう。そして、所変われば品変わる、ではありませんが、相手だけではなく常識や物事への善し悪しの評価も、場所やコミュニティによって変わってくることも頭に置いておきましょう。 自分で判断に迷ったときは、事前に周りに「こういうときはどうすればいい?」と聞いてみたり、いっそ直接相手に「手伝おうか?」というように聞いてみたりするのも一つの手です。

相手の事情を把握できる範囲で行う

上述したように、今はおたがいに個人情報を把握していないのが当たり前になっています。たとえば子供のことで愚痴を聞いても、その人の家族構成も知らないような仲なら、こちらからの積極的な親切は控えたほうがよさそうです。

主語は「私」

話すときに「あなたはこうだから」といういい方を避けましょう。「私はこう思うのだけども、どう思う?」と、主語は「私」で話しましょう。主語が「あなた」だと、相手は決めつけられているように感じて、反発を覚えやすいものなのです。

アドバイスを実行することを強制しない

「親切という行為は、親切を行った時点で完結」ということを頭に置いておきましょう。アドバイスを言う等の親切をしたら、もうそこで終わりと思いましょう。 相手がどうするかは、相手が自分の状況と自分の内心とをよく考えて動くことです。もう問題は相手のテリトリーに入ってしまったのです。それ以上踏み込もうとすることは、それこそ余計な親切、お節介になりかねません。

親切は無償で行う

相手への親切に対して、見返りや礼を求めるのはやめましょう。上の項目で「親切という行為は親切を行った時点で完結」と書きましたが、この点についても同じです。親切は無償のつもりで割り切って行いましょう。 ましてや「お礼しないなんて非常識」なんて周りに言えば、むしろあなたの評価が下がるだけです。

無理をしない

親切に見返りやお礼を期待してはいけないということは、逆にいえば、無償と割り切った上で自発的に行えないような親切はやめておきましょう。 何かしら無理が入ると、人間はどうしても「ちょっとくらい返してもらえるだろう」という打算的な気持ちになりやすいものです。そういう気持ちでいると、かえって人間関係がギスギスしたものになってしまいます。

日常の小さな親切を忘れない

今まで書いてきたように、顔見知りの間での親切はかえって難しいものです。色々なことを考える必要があり、かえって親切なんてしない方が良いのでは、と思ってしまうかもしれません。 しかし、ここでもう一度思い出して頂きたいのは「親切は社会の潤滑油」ということです。電車や町中など見知らぬ者同士の間のちょっとした手助けを通りすがりに、かつ無償でできる範囲ですることは、人として大切なことです。 こうした親切は相互性という性質を持ち、親切を受けた人はまた別のところで親切をするということが指摘されています(互恵の原理)。小さな親切は、大きな社会を上手く機能させるために、非常に大切な要素なのです。

親切は慎重かつ気軽に

親切や助言というのは本当に難しいものです。特に個人的事情が深く関わるようなことに関する親切は、きちんと相手の事情を深く把握して理解していること、相手の目線に立ってよく考えることが必要になります。 つまり、人の個人的な事情に関しては、たとえ親切心であろうとも慎重な考慮と判断が必須になるのです。 しかしその一方で、日常生活でのちょっとした親切は人間関係はもちろん社会自体の潤滑油になります。親切は他人も自分も穏やかに暮らすために必須なのです。お年寄りに席を譲るなど普段の生活における他人に対するささやかな親切は、できる範囲で実行していきたいものです。 そして、自分への親切(思いやり)もお忘れなく。自分に心のゆとりがあってこそ、他人に親切にできるのですから。

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メンタルケアや自己啓発を幅広く勉強しています。勉強と自分の経験を踏まえ、ちょっとした日常で具体的に役...

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