2019年05月27日公開
2019年05月27日更新
「この人、なんだか薄っぺらいな」と思われる人には、どんな特徴があるのでしょうか?また、他人から薄っぺらい人と思われないためにはどのようなことに気をつければよいのでしょうか。今回はこの「薄っぺらい人」について考えてみます。
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そもそも「薄っぺらい」とはどういう意味なのでしょうか。薄っぺらい(薄っぺら)の意味を国語辞典で調べてみると、 【薄っぺら】 ①見るからに薄くて、安っぽく感じられる様子。 ②(内容・実質などの)充実していない様子。浅薄。 と書かれています(『新明解 第6版』より)。つまり薄っぺらい人とは、中身がなくてつまらない人ということです。
この薄っぺらい人にはどのような特徴があるのでしょうか?そして、薄っぺらい人が自分の状況を変えていくためにはどうすればよいのでしょうか? 日常生活の中で、どのような行動をしている人が薄っぺらいと思われてしまうのか、例をいくつか挙げてみます。
どこかで聞きかじった知識をそのまま話したり、あまり詳しくないことを知ったかぶって表面だけを人に話す人は、薄っぺらい人と思われがちです。薄っぺらい理解で知ったかぶっている人は、意外と他人にバレていることが多いです。 「この人、自分の意見を話してくれてないな」とか「中身が薄っぺらい人だな」と思われてしまったら、いずれ他人から信用されなくなってしまうでしょう。
「学生のころは成績が良くてスポーツも何でもできた」といった学生時代の栄光や、数年前の自分の仕事の成果などをいつまでも自慢し続ける人は、他人から薄っぺらいと思われがちです。もちろん、自分の過去の栄光を忘れる必要はありませんし、それ自体は薄っぺらい経験ではありません。 しかし自慢ばかりする人は、過去の自分に執着して、現状を変えていく努力をしていないような薄っぺらい人に見えてしまい、あまり印象はよくないです。 過去の成功体験は自分の胸の内に大切にしまっておき、あまり周囲の人にベラベラと喋らない方が、むしろ余裕があって格好よく見え、薄っぺらい印象は持たれないでしょう。
約束を連絡もせずにドタキャンしたり、他人に対する気配りができなかったりする人は、薄っぺらい人と思われます。自分のことしか考えないような薄っぺらい人の周囲からは、どんどん人が離れていってしまいます。 他人の視線や行動を神経質に過度に気にして生活する必要はありませんが、他人が困っている様子がふと目に入ったら、話しかけてみたり手を差し伸べたりするだけでも、他人からの印象はまったく違うものになります。 よほどひねくれた人でなければ、他人に対して思いやりがある親切な人を薄っぺらいと感じる人はほとんどいないでしょう。
薄っぺらい人は飽きっぽく、色々なことに手を出してみるものの、どれも中途半端な状態で投げ出しがちです。 本人は色々な経験を積んでいるつもりでも、じっくり取り組んでいなければ表面的な薄っぺらい理解で終わってしまうので、何も経験していないのとほとんど変わりません。 その状態で「自分は〇〇をやった経験がある」と言ったとしても、ほとんど説得力はないですし、褒められるどころか「薄っぺらい人」と見られてしまうでしょう。
ここまで薄っぺらい人の特徴を見てきました。 最近、こうした薄っぺらい人が増えているといわれます。なぜ現代において薄っぺらい人が増えているのでしょうか?
携帯電話やスマートフォンを持っていなかったころの生活を思い出してみてください。携帯電話が社会に普及する以前は、他人と連絡を取ることも一苦労でした。 一方で、スマートフォンが広く普及した現代では、他人に連絡が必要な状況になったら、その場で一瞬で連絡を取ることができます。たとえ道に迷っても、地図アプリを使えば他人に頼ることなく簡単に調べられます。たとえ薄っぺらい理解のまま、ふらっと新しい土地に旅に出たとしても、現代の日本で困ることはほとんどありません。 24時間どこにいても人と簡単に連絡を取ることができるツールは非常に便利ですが、その一方で、一人でじっくりと考えて行動する機会は減ってきています。
自分の知識を増やすためには、日々の勉強が欠かせません。これは今も昔も変わりません。しかし現代では、分からないことはすぐにインターネットを利用して調べることができるため、コツコツ勉強して知識を蓄える必要性が昔と比べて薄くなっています。 ただ、いつでも好きなときに分からないことが調べられるために、「あとで調べればいいや」とか「わからないことが出てきて困ったら、そのときに調べればいい」などといった考え方になりがちです。 毎日調べものをする中で自分の考えを深めていくという機会を積極的に持たなければ、薄っぺらい理解から先に進めません。
特に若い人たちの間では、一生懸命勉強に取り組んだり、全力を出して何かに取り組む人に対して冷めた視線を送られることがあります。 なるべくラクで好きなことだけして生きていきたいという気持ちはよく分かります。しかし、好きなことをして生活しているように見える人でも、実際には陰で必死に努力をしているものです。 遊んでいるように仕事をしている芸能人や話題の動画配信者の活躍を表面上だけ見て、「自分もあんなふうに遊んで暮らしたい」と思うのは自由です。しかし、遊んでいるように見える裏でその人がどんな努力をしているのかを想像できなければ、夢だけ語る薄っぺらい人で終わってしまうでしょう。
現代の日本は特に、これまでにないくらい薄っぺらい人が増えそうな生活環境になってきているといえます。薄っぺらい人に対して、周囲の人たちからはどのような印象を持たれるでしょうか?
知ったかぶりをしたり、他人のことを気遣わずに自分のことばかり考えているような薄っぺらい人は、他人からの信用を得ることは難しいでしょう。 見栄を張らずに、分からないことは正直に分からないと伝えて、相手にきちんと向き合ってコミュニケーションする姿勢が重要です。 誠実な対応を心掛ければ、薄っぺらいと思われることはまずないでしょう。
自分の意見がなく、どこかで聞きかじってきた言葉ばかりで話をする人は、相手から「自分とは真剣に話をする気持ちがない」と思われても仕方がありません。 何とか話を盛り上げなければと張り切って、無理に背伸びをした会話をするよりも、あなた自身の体験を通して、あなたが感じたことをそのまま相手に伝えた方が、聞き手は誠実に話をしてくれていると感じます。 話の内容を無理して面白くしようとしても、薄っぺらい会話で終わりがちです。 それよりも、あなたならではの感性や誠実な態度の方がずっと重要です。
自分の考えがない薄っぺらい人は、堂々とした人の発言の影響を受けやすく、騙されやすいです。一般的な人なら怪しいと気付くような話でも、簡単に乗せられてしまいます。 それによって大切なお金や時間を失うだけでなく、周りの人から「あんな話を信じるなんて」と思われて、薄っぺらい人からはますます人が離れていってしまいます。
では、こうした薄っぺらい人とは対照的に、中身のある人とはどのような人のことをいうのでしょうか。また、他人から薄っぺらいと言われてしまうような人でも中身のある人に変わることができるのでしょうか?
中身のある人と薄っぺらい人の大きな違いは、コミュニケーションにおいて他者を尊重しているか、それとも尊重していないかだといえます。 薄っぺらい人は、自分の中にしっかりとした意見がないことを隠そうとして、有名な人が言った言葉を自分の考えのように話したり、場合によって嘘をついてその場しのぎをしたりすることがあります。 このような自己中心的なコミュニケーションでは、相手に不信感を持たれても仕方ありません。
薄っぺらい人とは対照的に、中身のある人は何か分からないことがあってもそれを隠さずに伝えることができます。分からないことは誰にでもあることであり、分からないことについて調べたり質問したりすることは決して恥ずかしいことではありません。 むしろ、分からないのに「知ってるよ」ということは、相手に嘘をつくことであり、誠実な態度とはいえません。実際には薄っぺらい理解しかないのに、相手としてはその内容について詳しく知っているものだと勘違いをするので、のちのちトラブルになりかねません。 知ったかぶらずにきちんと調べたり聞いたりすることで、中身のある人はますます自分の知識を増やすことができ、しっかりとした自分の考えを持つことができるでしょう。
薄っぺらい人は、生活している中で何か分からないことがあってもそのまま放置しがちです。 わざわざ時間を取って、図書館に行って何時間も勉強する必要はありませんが、手元のパソコンやスマートフォンでささっと調べる程度でも、積み重ねれば知識がどんどん増えていき、自分なりの考えも持てるようになります。 たとえ最初は薄っぺらい理解だったとしても、少しずつ深い理解へと変えていくことができます。ほんの小さな心がけ次第で、「薄っぺらい人」と呼ばれるような人でも中身のある人に変わることができるのです。
「まわりから薄っぺらい人だと思われたくない!」とは思うものの、実際に他人から薄っぺらい人だと思われないためには、どんなことに気を付けて生活すればよいのでしょうか? 薄っぺらい人から中身のある人に変わるための方法を紹介します。
コミュニケーションにおいては、相手のことを何よりも一番に考えることが大事です。例えば、「相手と会う約束をしたなら絶対に忘れず時間を守る」ことや「約束の時間に遅れそうなら早めに連絡を入れる」、「守れそうにない約束ならそもそも約束しない」ことなどです。 基本的なことですが、当たり前のことを当たり前にできる人は意外と少ないものです。「数分くらいなら遅れても許してくれるだろう」といった相手の好意に甘えるような態度を取っていると、知らないうちに相手から距離を置かれていることもあります。 相手のことを最優先に考え、気配りをする。まずはそれが重要です。
次に、自分に自信を持つことが大事です。「分からないと言ったらバカにされるのではないか」といった思いから、知ったかぶりをしてしまう人もいるかもしれません。実際、バカにしてくるような心無い人もいることは確かです。 しかし、分からないことは誰にでもあるのが普通であって、そのバカにしてくる人にも分からないことは当然たくさんあります。そこに配慮が回らない以上、あなたをバカにしてくる人はむしろ、あなたよりもずっと薄っぺらい人だといえます。 そんな人とまじめに付き合っていても、疲れるだけで得るものは少ないです。自分に自信を持ち、分からないことは分からないと正直に伝えましょう。そしてその気持ちを受け止めてくれた人を大切にしてください。
インターネット上のサービスのめざましい進歩によって、趣味も仕事も何でも一人で完結できる時代になりました。しかし、それでも人は一人だけで生きていくことはできません。時には人に頼ることも必要です。 「失敗したらバカにされるのでは」とか「他人に迷惑をかけたくない」といった思いは理解できます。しかし、少し視野を広げてみましょう。自分で自分のことを薄っぺらと思っていたとしても、周りの人は、あなたとは違う角度からあなたの行動を評価しているかもしれません。 「自分を客観視してみる」といった言葉はよく聞かれますが、実際にどうしたらいいのか迷う部分もあると思います。そんなときは、自分の周りの人の言葉が思わぬ助けになるかもしれません。
情けは人の為ならずという言葉もあるように、自分よりも他人を気遣い、誠実なコミュニケーションをすることは、めぐりめぐって自分の幸せにつながります。 あなたの誠実な態度を見てくれている人は必ずいます。振る舞いや発言は派手でも中身が薄っぺらい人よりも、1回1回の他人とのコミュニケーションを大切にしている人の方がずっと美しいです。 すぐには結果が出ないかもしれませんが、視野を広げて、他人に真摯に向き合うことが幸せのカギです。
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